アトリエ通信(日記)

2021-01-23 10:30:08
なんとなくTwitterをもっとポエジーな感じ?にしたくなったので、これ書いた後に模様替えしてみようと思う。最近は、ポエムという言葉は人を馬鹿にするときに使ったりすることも少なくないけれど、みんなもっと詩を書けばいいのにとか思う。詩というか、もっと論理的じゃない言葉を。
というわけで、この日記が今までのTwitterみたいな立ち位置になりそう。
このサイトもだけど、Twitterは、自分が理想とする世界に実際に今生きてるかのように表現してみたい、先の未来じゃなくて、すでにそこにいるかのように。そうすると、自ずと詩情のある文章がいいなと思ったのだ。
2021-01-22 09:03:58
このホームページ用のアプリが新しくできていて、この日記のとこだけアプリから投稿できるようになっていた、すごくすごく便利。まるでTwitterみたいに気軽に投稿できる。

ぼっちの電話をやってると自分の強さについて考えさせられる機会が多い。私はまだまだ弱い人間なのだ。他人からどう思われるかということが気になるし、嫌われることがとても怖い。このことはぼっちの電話をやっていく上で本当に邪魔になる。けれど嫌われる勇気を身につける学びとなるのでまだ続けていきたいとは思う。

依存度が高い人への対応はとても慎重にしないといけない。なぜなら、私の嫌われたくない、好かれたいというエゴのまま対応してしまうと、相手からは嫌われないで済むけれど、結局は相手の為にならないからだ。

依存の不思議なしくみだけれど、依存関係を強める対応をすると相手は自分のことを理解してくれたと思って信用してもらえる、けれど、依存関係にならないような対応をすると相手はこちらをわかってくれない人だと認識するようになる、そして、自身の抱える悲しみの感情が怒りや憎しみのエネルギーへと変化して、それがこちらにぶつけられることになる。
直接ぶつけなかったとしても、心の中で、相手がこうだったから自分はこうなのだと、相手の態度が悪かったのだと自分に言い聞かせる。
そうやって溜まったエネルギーを外に出す。
鬱のときはエネルギーの行き先が他人に向いてしまうから仕方がないのはわかっている。

私もそんな人だった。相手がこうだから自分はこうできないのだと言い聞かせていた。すべては相手の反応次第、それによって自分の反応が決まると思っていた。本当にその当時に関わってくれていた人たちに申し訳ないと思っている。


私は嫌われるのが怖い、まだまだ強さがないから、相手の機嫌を取りたくなってしまう。けれど、その行為が後々に悲劇を生む結果に繋がることを知っているので、なるべく相手にどう思われるかということを手放せるようになりたい。

ぼっちの電話でも、電話に出ていくら話しかけても最初からずっと無言。私も人間だからそんなの怖い。それでも私は嫌われたくないから、相手の機嫌を取るために、1人でずっと話しかける。長い時は1時間近く、1人でピエロを演じ続ける。相手はうんともすんとも言わない。そこにいるのかもわからない。まるで昔の自分みたいだ。こちらの出方だけがすべてだ。向こうは気分が落ちきっているから、こちらのことを考える余裕もなくなっているから仕方がない。相手は自分にとって都合の良い言葉が出てくるのを、気持ちいい態度が出てくるのを待っている、無意識に。

最近、自分で自分の機嫌を取るということにアレルギーがある人の意見をよく見かけるようになったけど、自分で自分の機嫌を取ることができない人は、誰かに自分の機嫌を取ってもらうしかなくなる。不機嫌のままでは生きていけないからだ。
それを優しさや無償の愛と勘違いしてしまう。それはただの依存関係なのに。


そうやって自分のことをわかってくれる人はいないと心を閉ざしてしまう、けれど寂しいから、また彷徨い続けて、わかってくれそうな人が見つかると、その人を試すことに全エネルギーを集中させる。昔の私もそうだった。実はここには、お互いのエネルギーの交換ややりとりはない。搾取のみ。もしくは停滞して淀みさらに重くなっていく。
自分が落ちているからといって、相手まで落ちなければいけないわけじゃないのに、相手も落ちていてほしいと望んでいた。もし相手まで落ちてしまえば、その先にどんな悲劇が待っているのか目に見えている。

この依存のしくみを悪用する人も多い。相手を信用させることが簡単にできるからだ。お金が絡むと誘惑に負けて悪用したくなるのも仕方がないとは思う。そういう理由もあって私は無料でぼっちの電話をやってる。
でも、無料でやってるのにまだ嫌われたくないという弱さが残っている。


もちろん、ほとんどの電話ではお互いのエネルギーをやりとりできる健全な関係の元に、話ができてはいる。けれど、まだ弱い自分は依存的なものにどうしても引っ張られがちだ。
けれど、流されない自分になりたいので諦めない。流されない自分じゃなければ、本当の意味で救われる人は誰もいないし、それどころか有害でしかない。

それに、人間の存在まるごとを肯定している考えは変わらない。だから依存的な人であっても、それは今そういう性質になってしまっているだけで、その人そのものの価値とは関係がないと信じているので、ぼっちの電話を続けることができているのだと思う。
2021-01-21 21:10:00

今日からここに日記とか思いついたことを書いていくことに決めた。このサイトの文字の雰囲気とか行間の感じが好きなので、ここに書くことにした。アメブロとかnoteとかに書いた方がたくさんの人に見てもらえそうなのだけれど、何となくここに書こうと自転車を漕ぎながら思いついたのだ。ここにダラダラ書き出してみて、記事になりそうな話はこことは別にnoteにもアップしたらいいかなとか思うので、ここにはとにかく思いつくまま書くことにする。どの場所よりも素の自分で書けたらいいなと願いつつ。
最近はウーバーしつつ、その合間に家事をやり、ウーバーしてない時に創作や家でできる作業をやったりしている。感覚としては西海岸とかにいるサーファーみたいな気分だ。波のある日は波乗りに海で出て、それ以外は創作や家仕事をする。現実は海からほど遠い小さなアパートに住んでいるけれど、気分だけはそんなつもりで。
ウーバーしながらだととにかく時間がない、創作もしたいし、ぼっちの電話もしたい。創作したのなら、それを発信したい。なので、なるだけ時間のかからない発信の仕方を習慣付けたいと思うようになってきた。なので、まずここにダラダラ書き出していく日記的な文章を毎日書く、そして、制作の動画を撮影してYouTubeにアップしたり、インスタに上げたりする、あとはたまに音声か映像でしゃべるという感じでやってみようと思う。記事が書けなくてもしゃべる方が時間がかからないから。
形としてはこんな感じで考えてて、創作についてなのだけれど、もっと詩を書いてみたいと思う。
ウーバーの話だけど、釣りに似てる。釣れる場所を探して街を彷徨う。立ち回り次第、工夫次第で結果が全く変わってくる。そこがおもしろい。あと、交通量が多い時間帯は苦手だけれど、人や車の通りが少なくなった夜中に自転車をこぐのがすきだ。この前思い出したけど、小学生の頃からこれは変わってない。家にいたくないときは、夜でも自転車でひとり出かけた。中学生になると遠くの学区まで足を伸ばした。好きな人ができると、その子の通学路を通ってみたりした。高校生の時は忙しかったので登下校の自転車で癒やされていた。大学生になっても、気分がふさいでしまう時は自転車、それか原付で町をうろうろしていた。それで何となく気分がすっきりする、そのことを忘れていたのだけれど、ウーバーしていて思い出した。いくつになっても、こういうのは変わらないのかも。
今月に入ってからアメブロで創造性についての記事を書いてたんだけど、今日ぜんぶ消した。やってみたくて始めたけれど、何か違うなぁと思ってしまったのだ。何だろう、何か違う。自分のなかの言葉の表現のボキャブラリーがないからか、既存の専門用語とかを使わないと表現できなかったりするのだけれど、そのことで誤解が生まれてしまうような気がした。もちろん誤解されて当たり前とは思っている、すべてをそのまま伝えることは不可能だから。でも、その誤解を解こうとすることにエネルギーを使いたくなかった。解かなければ問題ないのだけど、自分のなかでもしっくりきてないことなので、誤解されることが怖くなってしまったのかもしれない。
もっと、これよかったーとか、これたのしかったーとか、感性が動いたり魂が震えたりしたことを表現するほうが好きなのかもしれない。
というわけで、またいろいろ挑戦してみる。いい歳してこんないろいろやってダサいのでは、とかいう声が自分の頭のなかにたまに浮かんでくる。インスタとか見てると海外のおじいちゃん、おばあちゃん世代の絵描きの人たちが楽しそうに配信してたりしてすごくかっこいい。日本ではほぼ見かけない。見かけたとしても、介護的なジャンルだったりアウトサイダー的に取り上げられていることがほとんどだ。自分もあんな風な歳の取り方をしたい。

2021-01-21 15:19:00

日々浮かんだこと、考えたことを書いていく日記。とりあえずここだけ読んでおけば、その他のSNS等の最新情報もわかるようにリンクも載せていく予定です。

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