アトリエ通信(日記)

2023-04-03 02:18:00

絵を描きやすい配置にしようと模様替えを始めた。前はロフトで寝てたんだけど、上り下りが面倒になって止めてたのを、またロフトで寝ることにした。単純に作業スペースを広くしたいというのもあるけど、いつでも布団があるという状況だと、本当にずっと布団にいる。朝は起きられないし、トイレに起きてもまた布団に戻るし、ご飯も布団の上で食べたりする。なので、とりあえず個展が終わるまでは、ロフトで寝ることにした。ロフトに寝床を設置するまでは終わったけど、その後、配達仕事に出て、深夜に帰ってきたので、作業スペースはまだめちゃくちゃだ。これを書いた後、整理しようと思う。

次の個展のテーマは愛について。愛から一番離れていると思っていた自分だけど、結局は、愛って何なんだろうと追い求めて生きてきた気がする。このサイトのプロフに書いてる創作についての文章を読み返してみたけれど、自分はずっと愛について表現したかったのだと思い知った。私が考える愛について。それは、ときに矛盾や残酷さもあったりする。けれど愛。そして、自由を常に含む。そしてリスペクトも含む。含むというか共に在る。ここに書くのは難しいけれど、愛についてなら何時間でも語れそうな気がする。

2023-04-02 02:30:00

今月末からなんと個展が始まる。1ヶ月間も、福岡のど真ん中で。いきなり決まったので、全く準備ができていない。しかも詩人でもないのに詩も展示する。この詩は2年前から準備していたけど、本当に展示することになるとは自分でも思っていなかった。個展の準備がなぜ進んでいないのか、というとここ数年間の自分の暮らしぶりが災いしている。昔むかしの自分はどんな小さなことでも楽しめる自信があった。さすがに深い鬱の時期は楽しむどころではなかったけれど、それでも小さなことに魅力を感じていた。ところが、最近の自分は無気力で、できるだけ楽で手っ取り早く気持ち良くなれることを求めている。それもまったりじわーっという感動よりも、刺激が強い方を選んでしまう。最初はまた鬱かなぐらいに思ってたんだけど、いろいろと考えてみたら、鬱というより、自分の暮らしぶりのせいだということがわかってきた。脳内ホルモンのドーパミンを無駄に使いすぎているようだ。ドーパミンにも限りがあって、無駄に使いすぎてしまって、本来使いたいときには枯渇しているから、何のやる気もでない、興味も湧かない、そんな状態になってしまっているのだ。些細なことに感性が動かなくなってしまっては、創作する身としては一大事だ。もうすぐ個展も迫ってきている、ということで、昨日から自力で脳内のドーパミン依存を調整していくことにした。薬は使わず、自力でやってみる。小さなことに感動できる心を取り戻すために。予想だと、ドーパミンの働きを正常に戻すのに、個展まで間に合わないかもしれない。けれど、こんなに大きく自分が変化していく最中に作った作品は、それはそれでとても面白いと思う。

2022-11-14 01:23:00

昨日に続き今日も思ったように動けない一日だった。結局、配達仕事には行かなかった。今日まで働いた分が来週に報酬として入るので、来週は収入ゼロになる。でももうこれについては考えても仕方ないので、何とかしないとだけれど明日考えることにする。

それよりもずっと思考が望まない方に向いてしまっている。意識のピントがブレブレなのだ。この部分を変えていかないとやばい。というわけで、明日から心がけることは、まず住環境を整えること。部屋を快適な状態にする。嫌なニュースや情報や嫌な人に意識を向けないこと。妬みとかネガティブな思考に時間を使いすぎないこと。不足している部分にばかりフォーカスしないで足りている部分に意識を向けること。目指している方向に関わることを具体的に10分とかでもやること。正しいか正しくないかというより、自分にとってやましい事はやらないこと。小さいことでも良い気分になれることを、強くしっかり感じるようにすること。

影響を与える側にならなければ絵なんて売れないのに、今は自分が空っぽな気がしている。

2022-11-13 01:22:00

今日から配達仕事もがんばろうと思ってたのに、結局、SNS関係を強化する為に試行錯誤して一日が過ぎた。明日、一日中配達すれば、たぶん何とか来週は生き延びれそう、だけど配達に出てみないとわからないので悲しくなってくる。かといって、時間を切り売りするような労働(配達)だけやっていても、今すぐには収入にならなくても積み重ねていく種類の仕事を続けていかないと先々後悔するので、何とか続けたい。いつかこんな事、日記に書いてたなと笑える日が来るといいな。もうこれまでの人生で十分、ゆったりした時間を楽しく過ごしてきたし、行きたい場所や会いたい人とも会えて満足なので、今は個人的な目標ができたので、それに向かってがんばってみたい。とはいえ、もうくじけてしまいそうだけれど。とこれを書いてる間に、1件仕事が入ってきた、本当にありがたい。

2022-11-12 01:36:00

約1年ぶりの日記。この1年間どう過ごしていたか、と言われれば、さほど変わりなく過ごしていた。時々、気分が沈む時もあったけれど、そういう時には、元奥さんとお互いに励まし合って何とか生き延びてきた。制作やSNSの活動もほとんどせず、日々の暮らしと配達仕事がメインで過ごした。

何となくまたSNSの活動を始めようと思いたって、今日から再開することにした。と言っても、実はもう2週間以上配達仕事に行かず、どういう形で活動していこうか、その仕組み作りについて考えあぐねているうちに2週間以上過ぎてしまった。仕組みを作らないと動けない性質で、それなのに、その仕組みを作るまでにかなりの時間がかかってしまう。煮詰まって煮詰まって気づいたら1日が終わり、もう明日でいいやと諦めて、また一日が過ぎる。毎日、クソ−、ウーと唸ってイライラして悔しくて泣いて、寝る、そんなポンコツ具合だ。ただ結婚していた時よりは、一人なので思考の分断が少ないからか、それでも上手くいった方かなとは思う。でも結果的には、満足行くような形はできなかった。後は動きながら、続けてみようと思う。さすがに配達も再開しないとやばい。

SNSを本気でやってる人達は気楽そうに見えるけれど、全然そんなことないんだろうなと思った。仕事や家事をしながら、それでも質の高い投稿をしてそれを続けていくなんて、本当に大変だと思う。見た目だけで判断しちゃいけないなと改めて感じた。

小屋暮らししてる人たちのYouTubeをたまたま見て、自分もやってみたいと思った。何が二の足を踏ませているのかというと、過去に田舎暮らしした時の近所付き合いの煩わしさの記憶だ。当たり前の事だけど、人は一人では生きていけない。どんなに秘境だったとしても、周りの大木を一人で手入れできないし、小屋までの道路は誰かが整備してくれている。可能な限り、自力で暮らしたいと思っても、そうはいかない。今住んでいる都会の方が孤独でいられるという不思議。自分から誰かと関わらなくてもいつの間にか生活のライフラインや環境は整えられている。川掃除やゴミ拾い、草むしり、街路樹の手入れなども業者がいつの間にかやってくれている。野菜も肉も魚も自分で調達しなくても、お店に行けばすぐ手に入る。どんなに心を閉じていても、毎日生活していける、この孤独が今の自分にとってとても心地が良い。もし小屋暮らしを始めてしまえば、毎日の暮らしだけで一日はあっという間に過ぎてしまって、制作する時間は今より確保できない気もする。それはそれで、良いのかもしれないけれど。

そういえば、Twitterでフォローしてる絵描き?の方が東南アジアに行ってるらしく、現地の人の紹介の紹介の紹介みたいな感じで次から次にいろんな人やものと繋がっていく様子がツイートされていて、まるで冒険ゲームみたいで、流れで他と繋がっていく感覚、偶然なのに必然だったみたいな出来事、そういう感覚を最近まったく味わってないなと思った。大体のことが予定調和(言葉の使い方合ってるのかわからないけど)で、鳥肌が立つような感動を忘れてしまっている。昔は度々あったし、関わる人たちもそういう人たちばかりだった。なので、その絵描きの方のツイートがすごく刺激になった。

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