アトリエ通信(日記)

2021-06-27 22:15:00

宇多田ヒカルがノンバイナリーだと公表したことをネットで見かけて、そうなんだぁ、と思って、その日の夜、ごろんと転がっていたら思いついたのだけど、自分自身の性別だったり、恋愛対象だったり性的対象だったりが流動的じゃない人のほうが実は不思議かもという気がしてきた。自分自身の性的な認識も確かに社会的な性別としてははっきりわかりやすいかもしれない、けれど、性別関係なく誰しもの中に男性性と女性性の両方は存在している。そのバランスが大きいほうが自身の性別である。でも日によって、環境によって、体調によって、変化しているはずなのに、どうしてはっきり決めることができるのか、そっちの方が不思議で仕方ない。恋愛対象や性的対象についても、どうしてそんなにはっきり決められるのは不思議で仕方ない。私の場合は、友達がほとんどいない。友達の敷居が高いのかもしれない。友達であっても、惚れることのできる人、万が一、性的な行為をしてしまっても後悔しないぐらいの人しか友達になりたいと思わないからかもしれない。惚れたり性行為をしたりというのと、相手に何かを要求するような愛情とはまったく別物だと思っているから、惚れたからといって性行為したからといって、さあお付き合いしましょうとか結婚しましょうとか、そういうことには繋がらないと思っているからだろう。他の人たちは、友達と恋愛対象、性的対象とはっきりわけることができているのがすごいと思う。

2021-06-23 22:44:00

毎日ここに書きたいことは次々に出てくるのに、書き留めないものだから次々に忘れてしまう。古い原付をジモティに出品してて売れそうだったのだけど、結局、見送りということになった。売るために状態確認がてら、自分で乗ってみたら、引っ越してきた街は思ってたより運転しやすくて、このまま自分で乗り続けてもいいかなと思っていたので、まあいいか。でも今月もう少し収入があればウーバーしないで制作に時間をかけれるのになとちょっと残念でもあった。お金ないにもかかわらず、食べ物買いに出かけて、植物買って帰ってきたりした。ラベンダーとイタリアンパセリの花とダリアを1輪。部屋が狭いから少しの花で十分に存在感がある。そういえば野菜が一番安いのが近所のファミリーマートだったのにびっくりした。コンビニだから高いものと思ってた。肉と魚はこの店、トイレットペーパーはこの店、お惣菜はここ、という感じである程度、近所のお店の感じがわかってきた。この前はテナガエビを釣ってきて、素揚げして食べた。夜の、人が少ないしんと静まり返った川でゆっくり釣りをするのはたのしかった。

2021-06-17 00:40:00

今日は引っ越し先の新しいホルモン注射のクリニックに行ってきた。前通っていた病院は車でないと行けない場所だったので、自転車で行ける病院に変えることにしたのだ。なぜか前日から緊張してて、当日も緊張した。半年に1回は血液検査もするらしく、今日も血液検査をしないといけなくて、それも怖かった。とにかく針が苦手なのだ。今まで通っていた病院は町のお医者さん的な雰囲気のとこだったけど、新しいとこはビルの高層階にあってオシャレなクリニックだったので、着いてしばらくは緊張しっぱなしだったけど、お医者さんも看護師さんもすごく優しくてびっくりした。優しいけど適度な距離感で都会的だった。しかも注射もそこまで痛くなかった。毎回、前日とかから緊張しっぱなしで時間がもったいないなと思いはするけど、こればかりは仕方ない。都会なので、自転車を駐輪するのにもお金がかかった。帰りは雨だったけど、好きな長浜ラーメンの店に寄って帰った。男の人はラーメン食べるの上手だなと思う、ズゾォーっと麺を吸う。

引っ越してもう2週間ほどたつ。そろそろ、生活のリズムの大枠を作りたい。細かい部分はその日その時々の気分と直感で決めるとして、大枠がないと不安になってしまう。

2021-06-15 22:26:00

いつぶりの日記だろう?最近、限りなく海に近い川べりの古い部屋に引っ越した。なので、毎日、毎時間、水辺を眺めて過ごしている。きっとこれを読んでくれている人が想像している1000倍くらい、じーっと眺めている。そして、いつぶりだろうか?一人暮らしを始めた。まだ籍は入ったままなのだけれど、15年以上一緒にいた奥さんと離婚することになった。これもきっと理解してもらえないだろうけれど、前向きな離婚。この前、八代亜紀さんも離婚してたけど、何となく同じ匂いがした。これからも助け合うけれど、それぞれがそれぞれの道を本気で進んでいくために離れて暮らすことにしたのだ。もう15年もお互い向かい合ってべったり過ごしてきた、それはそれは本当に濃密な時間だった、これからは次のステージに進む。もっと現実的な理由も挙げるとするなら、私が生活と仕事の両立が難しいという特性を持ち合わせていることがひとつ挙げられる。どっちか片方しかできないのだ、だからこれまではどっちかだけ、その時々で選んでやってきた。これからもその作戦でやっていくこともできたと思う。でも、これは奥さんも同じ考えなのだけれど、そろそろお金とか世間体とかではなく、自分が心から喜べることを追い求めて生きていきたいという想いが強くなっていた。奥さんは一人の時間は必要がないという人なのだけれど、私は孤独と自由がなくなると途端に鬱になってしまう。幸い、病としての鬱は回復した。仕事もまあまあがんばれそうな体力も付いた。これから、新しい人生を出発させたいと急に思い立ってしまった。あと、奥さんの年齢的にまだ妊娠出産が期待できるということもあった。こんな話を奥さんにしたら、離婚まではしないとしても別々に暮らすのもありかなとちょうど思っていたらしく(二人はなぜか同じことを考えていることが多い)、翌日にはもう新居探しが始まった。新居が決まってから引っ越しまで2週間ほどあったので、さみしがりの私はその期間がとても長く感じた。今でも、寂しくなるからなるだけ連絡したくないのだけど、今まで通りふつうに日々の面白かったことなどLINEし合っている。まだ旧宅に荷物がたくさんあるので、しばらくは片付けにちょくちょく戻るとは思う。普通の人のような生活が難しい私と一緒に暮らせる人間なんて、もう奥さん以外には現れないと思う、もう結婚はしないだろう。好きとか嫌いとかと生活する暮らしていくということはまったく別ものなのだ。

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