アトリエ通信(日記)

2021-01-28 23:51:00

一つ前の日記で、自分と同じ道を通ってきた人の悩みにはアドバイス的な話がしやすいと書いたけど、そうでもない気がしてきた。例えば、友達がいなくて辛いんですという悩みがあったとして、私の場合、そもそも友達がいないことが悪いことだと思っていないというか、いなくても辛くないので、もちろん友達いなくて辛いと思う時期もあったけど、今はいなくても平気で、そういう場合、私のように友達がいなくても平気な人もいるんだと知ることができれば、そもそも何で友達ほしいんだろうとか考えるきっかけになるし、そこから感情が紐解いていくかもしれない。もし、ここで、友達いないの辛いよねぇ、私もそうそう、みたいなノリで話が終わってしまったとしたら?と考えると、同じ価値観じゃない方がいい場合もあるなぁと思ったのだ。

2021-01-28 21:17:00

今日は久しぶりに疲れてしまって、たぶんここ数日の食事の影響だと思うけど、ウーバーに出かけて2件配達したらすぐ戻ってきて横になったりしていた。夕方からまた出かけようとしたけど、なんだかんだで夜の部も休むことにした。休むと決めたら休んで他のことすればいいのに、やっぱり行けばよかったかなとか目標にしてる配達件数が足りないなとかうじうじといつまでも考え続けてしまう。とりあえず、色んなパターンで報酬を計算して、まあ大丈夫だろうと自分を安心させて、ようやく次に意識を向けることができた。家事はおおかた済ませたので、とりあえず、この文章を書いている。この後、絵を描こうと思う。女の子と鳥の絵を描いてみる。それにしても体調崩しても復活するまでが本当に早くなったものだ。体力もついたし、気力も。

 

 

ぼっちの電話の件数はだいぶ減った。プロフには書いてるけど、ツイートしてないからだろう。その代わり、前に繋がった人からの連絡が多い。最近思うけれど、ただ聞くだけというのは誰に対してもできるけど、何かアドバイス的なものを求められるときは、自分が通ってきた道と似ているというか過去の自分に似ている人だといろんな方向性があるということを話すことができるけれど、そうじゃない場合は難しい。時間に余裕があれば大丈夫なのだけれど、ぼっちの電話はそういうのじゃないから、いつでも電話を受けるという感じなので、余計に難しく感じる。いや、書いてて気づいたけど、そうじゃないかも。自分が通ってきた道のなかでうまくいった方法をいくつか紹介する、そしてそれを実際に試してもらわないと力になれないのかもしれない。方法を紹介しても、実践しないのなら、先に進めない。もちろん、ひとつじゃなくて、なるべく多くの方法を一緒になって考える。でも、それは嫌、これも嫌、あれも嫌、それはできない、でも辛いんです、どうにかして、と言われても、もうどうしようもない。ただ聞くだけでいいならそれでも大丈夫だけれど、そういう人に限って、アドバイスを求めてくる。こちらが質問しても、どこまで答えればいいですかとなぜかこちらが聞かれたりするのだ。
でも、私は絶対に議論はしないと決めている。私には私の、相手には相手の価値観がある。だから受け入れられないなら、それぞれがそれぞれの道を生きていけばいいだけの話だ。どちらが正しいとかないのだから。でも議論したい人もいる。自分を認めてもらいたいからだろう。でも私はスルーする。いつか恨まれるか、役に立たないと言われるかもしれない。怖い。でも重いエネルギーを断ち切るにはこれしかない。そして、ぼっちの電話のいいところは、思考せずに無意識の世界からその人にとって必要なメッセージを降ろしてくるというところだ。なので、議論してしまうと思考が入り過ぎてしまう。思考が入り過ぎたメッセージが人を癒やすことはない。

2021-01-27 23:59:00

かなり溜め込んでいたダンボールと缶、ペットボトルを車で捨てに行った。もう車じゃないと運ぶの無理なレベルの量だったので。部屋に戻ったら、違う部屋かと思うほどすっきりしていた。少し変わるだけでこんなに変わるものなのか。ちょっとずつ物を減らしていくのもいいかも。昔はそういうのこだわってたけど、最近はあまり家のことをやっていなかったからかなり荒れている。
いかつい感じのおじさんが、転がるようにころころ歩くかわいいティーカッププードルみたいな子犬を散歩させてるのとか見かけるとすごく微笑ましくなる。最近よく見かける。
この頃、女の人と小鳥を絵に描いてみたいと思うようになってきた。ウーバーが忙しいけど、ちょっと描いてみようと思う。

2021-01-25 23:54:00

今日は書きたいと思ってたことがいくつかあったけど、さっきまでぼっちの電話で話してて、話が盛り上がってしまって、忘れてしまった。まあその程度のことだったのかもしれない。電話しててたまに、初めて話すのに何でそんなに親切というか相手にしてくれるのかと聞かれることがあるけど、たぶん昔の自分に似ている人にはついつい熱く話してしまうのかもしれない。電話口の相手に、というよりも、昔の自分に向かって話しているのかもしれない。今は辛いだろうけれど、未来は明るいと。

2021-01-24 16:07:00

朝いちばんに考えたこと、何だったかなぁと思いだして思い出せなくて、やっと思い出せた。文字と映像についてのこと。これからはブログとかの文字情報より動画が主流になるという話をたまに耳にしていて、私は半信半疑だったのだけれど、何でそうなるのかというのを聞いて納得できた。文字は、そこに書かれている意味を自分の頭でイメージするという一手間がかかってしまう、けれど動画はイメージするという手間がいらないから楽なのだ。同じ文章を読んでも、読み手によって違う意味に捉えることは多い。これは芸術でも言える。その点、動画は大体の人が同じイメージで受け取れるから、何か伝えたいことがあるときには文字より動画の方が伝わりやすい。
ぼっちの電話をしていて似たようなことを感じた。最初の頃、メールでもやりとりをしていたんだけど、メールは良くないかもしれないと気づき出して、なるべく電話中心ということに切り替えた。文字の情報だと、相手の様子をイメージするのに労力が必要なので、24時間いつでも電話を受けるということが難しいからだ。何か他のことをしていても、電話ならとりあえず出さえすれば、相手の様子がわかる。昔は電話よりメールの方が良いに決まってると信じていたのに、電話なんて人の時間を奪うものだとさえ思っていた、けれど本当にコミュニケーションを取るためには電話の方が早い。電話だと何を話すかなんてさほど重要ではなくなる、エネルギーの交換がうまくいけばそれで癒やしとなり得る。けれど、文字だと、何を語るかが大切になってしまう。メールを読んで理解し、返事を書くまでにかなりの労力がかかってしまう。この労力は愛ではないと思ってる。愛というより自分をどう伝えたいかというエゴが強くなる。そして、相手も文章を書くときに、どう書けば伝わるかと考えながら書くので、エネルギーはどんどん重たくなってしまう。それより電話で重いエネルギーを流して軽くすることが先決なのだ。文字にするのは、個人的に頭を整理したいときにやるほうが断然いい。人に伝えるためにやると思考優先になって辛さは増してしまう。
もちろん、文字で書くことも大切なことだと思うし、こうやって文章を書くことは続けたい、ぼっちの電話以外で自分の創作のこととか、何か伝えたいことがあるときは音声や動画を使ってみたいと思う。
今まで生きてきて、このことに気づいてなくて、メールやLINEなら相手に負担をかけないからどんどん送ってもいいと信じていたので、今さら恥ずかしくなってしまった。たとえ、返事がいらないと伝えたとしても、読んでもらうという手間をかけさせていることに気づいていなかった。

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