アトリエ通信(日記)

2021-01-27 23:59:00

かなり溜め込んでいたダンボールと缶、ペットボトルを車で捨てに行った。もう車じゃないと運ぶの無理なレベルの量だったので。部屋に戻ったら、違う部屋かと思うほどすっきりしていた。少し変わるだけでこんなに変わるものなのか。ちょっとずつ物を減らしていくのもいいかも。昔はそういうのこだわってたけど、最近はあまり家のことをやっていなかったからかなり荒れている。
いかつい感じのおじさんが、転がるようにころころ歩くかわいいティーカッププードルみたいな子犬を散歩させてるのとか見かけるとすごく微笑ましくなる。最近よく見かける。
この頃、女の人と小鳥を絵に描いてみたいと思うようになってきた。ウーバーが忙しいけど、ちょっと描いてみようと思う。

2021-01-25 23:54:00

今日は書きたいと思ってたことがいくつかあったけど、さっきまでぼっちの電話で話してて、話が盛り上がってしまって、忘れてしまった。まあその程度のことだったのかもしれない。電話しててたまに、初めて話すのに何でそんなに親切というか相手にしてくれるのかと聞かれることがあるけど、たぶん昔の自分に似ている人にはついつい熱く話してしまうのかもしれない。電話口の相手に、というよりも、昔の自分に向かって話しているのかもしれない。今は辛いだろうけれど、未来は明るいと。

2021-01-24 16:07:00

朝いちばんに考えたこと、何だったかなぁと思いだして思い出せなくて、やっと思い出せた。文字と映像についてのこと。これからはブログとかの文字情報より動画が主流になるという話をたまに耳にしていて、私は半信半疑だったのだけれど、何でそうなるのかというのを聞いて納得できた。文字は、そこに書かれている意味を自分の頭でイメージするという一手間がかかってしまう、けれど動画はイメージするという手間がいらないから楽なのだ。同じ文章を読んでも、読み手によって違う意味に捉えることは多い。これは芸術でも言える。その点、動画は大体の人が同じイメージで受け取れるから、何か伝えたいことがあるときには文字より動画の方が伝わりやすい。
ぼっちの電話をしていて似たようなことを感じた。最初の頃、メールでもやりとりをしていたんだけど、メールは良くないかもしれないと気づき出して、なるべく電話中心ということに切り替えた。文字の情報だと、相手の様子をイメージするのに労力が必要なので、24時間いつでも電話を受けるということが難しいからだ。何か他のことをしていても、電話ならとりあえず出さえすれば、相手の様子がわかる。昔は電話よりメールの方が良いに決まってると信じていたのに、電話なんて人の時間を奪うものだとさえ思っていた、けれど本当にコミュニケーションを取るためには電話の方が早い。電話だと何を話すかなんてさほど重要ではなくなる、エネルギーの交換がうまくいけばそれで癒やしとなり得る。けれど、文字だと、何を語るかが大切になってしまう。メールを読んで理解し、返事を書くまでにかなりの労力がかかってしまう。この労力は愛ではないと思ってる。愛というより自分をどう伝えたいかというエゴが強くなる。そして、相手も文章を書くときに、どう書けば伝わるかと考えながら書くので、エネルギーはどんどん重たくなってしまう。それより電話で重いエネルギーを流して軽くすることが先決なのだ。文字にするのは、個人的に頭を整理したいときにやるほうが断然いい。人に伝えるためにやると思考優先になって辛さは増してしまう。
もちろん、文字で書くことも大切なことだと思うし、こうやって文章を書くことは続けたい、ぼっちの電話以外で自分の創作のこととか、何か伝えたいことがあるときは音声や動画を使ってみたいと思う。
今まで生きてきて、このことに気づいてなくて、メールやLINEなら相手に負担をかけないからどんどん送ってもいいと信じていたので、今さら恥ずかしくなってしまった。たとえ、返事がいらないと伝えたとしても、読んでもらうという手間をかけさせていることに気づいていなかった。

2021-01-24 00:07:00

このサイトに日記を書こうと決めたものの、そういえばデータの容量とかあったような?と思って調べたら、心配しなくても全然大丈夫だった。毎日、原稿用紙1000枚分の文字を書いたとしても容量を越えないみたい。なので、安心して書くことができそう。
ウーバーの帰り道、大体、10〜30分くらい自転車を漕ぐのだけれど、その時に音楽を聴いてる。片方の耳にかけるタイプの外付けのイヤホンがあって、すごく便利。サスペンションがよく効く自転車に乗ってるので、段差とかあると縦にすごく揺れる、それを利用して、その時に少しだけ大げさに揺れて音楽のリズムに乗るという不思議な遊びをしながら帰っている。ペダルを漕ぐときも、首を縦に振ったりして少し大げさに漕いで、急いでるように見せかけて、実はただ曲に合わせて踊るという遊び。
ウーバーのバックを背負ってると、それを見た人はほぼほぼ仕事中だと思うみたいだ。例え、配達していない時でも、配達中だと思うみたい。あのバックを見ると人は想像力を失ってしまうように思える。何というか、メディアで見聞きする配達員の印象でしか見れないのかもしれない。歩きより遅いくらいのスピードで自転車を漕いでいたとしても、めっちゃ速く漕いで危険というイメージがあるのか、大げさに車や人が一時停止してくれることがある。そんな手前で待ってくれても、このとろとろスピードじゃあ、そこまでかなり時間かかるよと思うけど、申し訳ないので、私はわざわざウーバーの配達員としてふさわしそうなスピードを出して期待に応えたりすることがある。
私の配達区域ではウーバーだけだけど、都市部ではウーバーのバックを背負っていたとしても、他の複数の配達サービスの商品を配達中だったりする。ほとんどの配達サービスの配達は、結局ウーバーの配達員がやっているという事実を知らない人は多い。ウーバーが嫌いという理由で他で頼んでいるという人の商品も、実はウーバーの配達員が運んでいるのだ。

2021-01-23 10:30:08
なんとなくTwitterをもっとポエジーな感じ?にしたくなったので、これ書いた後に模様替えしてみようと思う。最近は、ポエムという言葉は人を馬鹿にするときに使ったりすることも少なくないけれど、みんなもっと詩を書けばいいのにとか思う。詩というか、もっと論理的じゃない言葉を。
というわけで、この日記が今までのTwitterみたいな立ち位置になりそう。
このサイトもだけど、Twitterは、自分が理想とする世界に実際に今生きてるかのように表現してみたい、先の未来じゃなくて、すでにそこにいるかのように。そうすると、自ずと詩情のある文章がいいなと思ったのだ。
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