アトリエ通信(日記)

2022-11-12 01:36:00

約1年ぶりの日記。この1年間どう過ごしていたか、と言われれば、さほど変わりなく過ごしていた。時々、気分が沈む時もあったけれど、そういう時には、元奥さんとお互いに励まし合って何とか生き延びてきた。制作やSNSの活動もほとんどせず、日々の暮らしと配達仕事がメインで過ごした。

何となくまたSNSの活動を始めようと思いたって、今日から再開することにした。と言っても、実はもう2週間以上配達仕事に行かず、どういう形で活動していこうか、その仕組み作りについて考えあぐねているうちに2週間以上過ぎてしまった。仕組みを作らないと動けない性質で、それなのに、その仕組みを作るまでにかなりの時間がかかってしまう。煮詰まって煮詰まって気づいたら1日が終わり、もう明日でいいやと諦めて、また一日が過ぎる。毎日、クソ−、ウーと唸ってイライラして悔しくて泣いて、寝る、そんなポンコツ具合だ。ただ結婚していた時よりは、一人なので思考の分断が少ないからか、それでも上手くいった方かなとは思う。でも結果的には、満足行くような形はできなかった。後は動きながら、続けてみようと思う。さすがに配達も再開しないとやばい。

SNSを本気でやってる人達は気楽そうに見えるけれど、全然そんなことないんだろうなと思った。仕事や家事をしながら、それでも質の高い投稿をしてそれを続けていくなんて、本当に大変だと思う。見た目だけで判断しちゃいけないなと改めて感じた。

小屋暮らししてる人たちのYouTubeをたまたま見て、自分もやってみたいと思った。何が二の足を踏ませているのかというと、過去に田舎暮らしした時の近所付き合いの煩わしさの記憶だ。当たり前の事だけど、人は一人では生きていけない。どんなに秘境だったとしても、周りの大木を一人で手入れできないし、小屋までの道路は誰かが整備してくれている。可能な限り、自力で暮らしたいと思っても、そうはいかない。今住んでいる都会の方が孤独でいられるという不思議。自分から誰かと関わらなくてもいつの間にか生活のライフラインや環境は整えられている。川掃除やゴミ拾い、草むしり、街路樹の手入れなども業者がいつの間にかやってくれている。野菜も肉も魚も自分で調達しなくても、お店に行けばすぐ手に入る。どんなに心を閉じていても、毎日生活していける、この孤独が今の自分にとってとても心地が良い。もし小屋暮らしを始めてしまえば、毎日の暮らしだけで一日はあっという間に過ぎてしまって、制作する時間は今より確保できない気もする。それはそれで、良いのかもしれないけれど。

そういえば、Twitterでフォローしてる絵描き?の方が東南アジアに行ってるらしく、現地の人の紹介の紹介の紹介みたいな感じで次から次にいろんな人やものと繋がっていく様子がツイートされていて、まるで冒険ゲームみたいで、流れで他と繋がっていく感覚、偶然なのに必然だったみたいな出来事、そういう感覚を最近まったく味わってないなと思った。大体のことが予定調和(言葉の使い方合ってるのかわからないけど)で、鳥肌が立つような感動を忘れてしまっている。昔は度々あったし、関わる人たちもそういう人たちばかりだった。なので、その絵描きの方のツイートがすごく刺激になった。