アトリエ通信(日記)

2021-06-27 22:15:00

宇多田ヒカルがノンバイナリーだと公表したことをネットで見かけて、そうなんだぁ、と思って、その日の夜、ごろんと転がっていたら思いついたのだけど、自分自身の性別だったり、恋愛対象だったり性的対象だったりが流動的じゃない人のほうが実は不思議かもという気がしてきた。自分自身の性的な認識も確かに社会的な性別としてははっきりわかりやすいかもしれない、けれど、性別関係なく誰しもの中に男性性と女性性の両方は存在している。そのバランスが大きいほうが自身の性別である。でも日によって、環境によって、体調によって、変化しているはずなのに、どうしてはっきり決めることができるのか、そっちの方が不思議で仕方ない。恋愛対象や性的対象についても、どうしてそんなにはっきり決められるのは不思議で仕方ない。私の場合は、友達がほとんどいない。友達の敷居が高いのかもしれない。友達であっても、惚れることのできる人、万が一、性的な行為をしてしまっても後悔しないぐらいの人しか友達になりたいと思わないからかもしれない。惚れたり性行為をしたりというのと、相手に何かを要求するような愛情とはまったく別物だと思っているから、惚れたからといって性行為したからといって、さあお付き合いしましょうとか結婚しましょうとか、そういうことには繋がらないと思っているからだろう。他の人たちは、友達と恋愛対象、性的対象とはっきりわけることができているのがすごいと思う。