アトリエ通信(日記)

2021-07-08 05:20:00

早起きした。早寝したわけでもなくて最近気温が微妙で寝苦しいからあまり長く寝ていられない。昨日は氷枕を買ったのでいつもより気持ちよく寝れた。年々この時期は体温調節が苦手になってきている気がする、けどそうでもないかも。数年前にもっと夜寝苦しかった時期があった気がする。たしか敷布団を買い替えた時期だった。

そんなことはどうでもよくて、今朝思いついたことは、私は自分で思ってる以上にというか、ほぼ自覚がなかっただけかもしれないけれど、絵について、かなりのすききらいがあるんだということ。絵に関しては、実は誰にも譲れないようなこだわりがあって、それは自分の創作についてではなくて、絵そのものについてのこだわり、というかすききらいなのだけれど、それは説明できるような基準は存在していなくて、純粋に自分の感性だけで判断できる類のもので、しかも一瞬で決まる。だからこそ本物だと思う。変化していく本物。その日、その時の自分の感性で決まる、しかしそれは頭で決めるものではないので、自分の感性だけではなく、地球や風や温度やなにかの粒子やらといった自然そのものの流れにも影響されたすべての要素を通り抜けてきて最終的に私自身の直感という感性によって決まる。

絵を観るという行為もこれと同じようにして観てしまう。すきかきらいか。それは頭は使わない。自分にとって刺さるかどうか、ぐっとくるかどうか。絵に関してこのことは譲れない。作家の性格、経歴や取り組む姿勢、作品に込めた意図などは、作品そのものと切り離して観てしまう。でもこうやって絵と向き合っていくのはとてもおもしろい。せっかくの芸術なのだから頭でっかちではおもしろくない。もっと感性を五感を使って、自分自身の能力や可能性について知ることができるのが芸術で、それは創作する側だけでなく観る側も同じで。

もっとみんなすききらいで絵や芸術を楽しんだらいいのにと思ったりした。私はファッション的な絵も好きなのだけど、たぶんそういう思いがあるからだろう。決して、流行りがどうとか好かれるためのファッションという意味じゃなくて、個人のすききらいというオリジナルな感性と絵が結びつくというところに魅力を感じているのかもしれない。
感性を使うのは意外と難しかったりして、なんとなく良いかもと流行りにのった洋服を買ったとしても実際にはほとんど着ないで終わる服もある、そんな感じで、心の奥底からぐっときたものでないと自分にとっての本物にはならない。だからファッション的な絵というのも、感性をやわらかくして使いこなせるようにしておかないと、自分にとっての本物を選ぶことはできない。なんとなく他の誰かのものを自分のものだとかんちがいして選んでしまったりする。