アトリエ通信(日記)

2021-01-28 21:17:00

今日は久しぶりに疲れてしまって、たぶんここ数日の食事の影響だと思うけど、ウーバーに出かけて2件配達したらすぐ戻ってきて横になったりしていた。夕方からまた出かけようとしたけど、なんだかんだで夜の部も休むことにした。休むと決めたら休んで他のことすればいいのに、やっぱり行けばよかったかなとか目標にしてる配達件数が足りないなとかうじうじといつまでも考え続けてしまう。とりあえず、色んなパターンで報酬を計算して、まあ大丈夫だろうと自分を安心させて、ようやく次に意識を向けることができた。家事はおおかた済ませたので、とりあえず、この文章を書いている。この後、絵を描こうと思う。女の子と鳥の絵を描いてみる。それにしても体調崩しても復活するまでが本当に早くなったものだ。体力もついたし、気力も。

 

 

ぼっちの電話の件数はだいぶ減った。プロフには書いてるけど、ツイートしてないからだろう。その代わり、前に繋がった人からの連絡が多い。最近思うけれど、ただ聞くだけというのは誰に対してもできるけど、何かアドバイス的なものを求められるときは、自分が通ってきた道と似ているというか過去の自分に似ている人だといろんな方向性があるということを話すことができるけれど、そうじゃない場合は難しい。時間に余裕があれば大丈夫なのだけれど、ぼっちの電話はそういうのじゃないから、いつでも電話を受けるという感じなので、余計に難しく感じる。いや、書いてて気づいたけど、そうじゃないかも。自分が通ってきた道のなかでうまくいった方法をいくつか紹介する、そしてそれを実際に試してもらわないと力になれないのかもしれない。方法を紹介しても、実践しないのなら、先に進めない。もちろん、ひとつじゃなくて、なるべく多くの方法を一緒になって考える。でも、それは嫌、これも嫌、あれも嫌、それはできない、でも辛いんです、どうにかして、と言われても、もうどうしようもない。ただ聞くだけでいいならそれでも大丈夫だけれど、そういう人に限って、アドバイスを求めてくる。こちらが質問しても、どこまで答えればいいですかとなぜかこちらが聞かれたりするのだ。
でも、私は絶対に議論はしないと決めている。私には私の、相手には相手の価値観がある。だから受け入れられないなら、それぞれがそれぞれの道を生きていけばいいだけの話だ。どちらが正しいとかないのだから。でも議論したい人もいる。自分を認めてもらいたいからだろう。でも私はスルーする。いつか恨まれるか、役に立たないと言われるかもしれない。怖い。でも重いエネルギーを断ち切るにはこれしかない。そして、ぼっちの電話のいいところは、思考せずに無意識の世界からその人にとって必要なメッセージを降ろしてくるというところだ。なので、議論してしまうと思考が入り過ぎてしまう。思考が入り過ぎたメッセージが人を癒やすことはない。