アトリエ通信(日記)

2021-01-22 09:03:58
このホームページ用のアプリが新しくできていて、この日記のとこだけアプリから投稿できるようになっていた、すごくすごく便利。まるでTwitterみたいに気軽に投稿できる。

ぼっちの電話をやってると自分の強さについて考えさせられる機会が多い。私はまだまだ弱い人間なのだ。他人からどう思われるかということが気になるし、嫌われることがとても怖い。このことはぼっちの電話をやっていく上で本当に邪魔になる。けれど嫌われる勇気を身につける学びとなるのでまだ続けていきたいとは思う。

依存度が高い人への対応はとても慎重にしないといけない。なぜなら、私の嫌われたくない、好かれたいというエゴのまま対応してしまうと、相手からは嫌われないで済むけれど、結局は相手の為にならないからだ。

依存の不思議なしくみだけれど、依存関係を強める対応をすると相手は自分のことを理解してくれたと思って信用してもらえる、けれど、依存関係にならないような対応をすると相手はこちらをわかってくれない人だと認識するようになる、そして、自身の抱える悲しみの感情が怒りや憎しみのエネルギーへと変化して、それがこちらにぶつけられることになる。
直接ぶつけなかったとしても、心の中で、相手がこうだったから自分はこうなのだと、相手の態度が悪かったのだと自分に言い聞かせる。
そうやって溜まったエネルギーを外に出す。
鬱のときはエネルギーの行き先が他人に向いてしまうから仕方がないのはわかっている。

私もそんな人だった。相手がこうだから自分はこうできないのだと言い聞かせていた。すべては相手の反応次第、それによって自分の反応が決まると思っていた。本当にその当時に関わってくれていた人たちに申し訳ないと思っている。


私は嫌われるのが怖い、まだまだ強さがないから、相手の機嫌を取りたくなってしまう。けれど、その行為が後々に悲劇を生む結果に繋がることを知っているので、なるべく相手にどう思われるかということを手放せるようになりたい。

ぼっちの電話でも、電話に出ていくら話しかけても最初からずっと無言。私も人間だからそんなの怖い。それでも私は嫌われたくないから、相手の機嫌を取るために、1人でずっと話しかける。長い時は1時間近く、1人でピエロを演じ続ける。相手はうんともすんとも言わない。そこにいるのかもわからない。まるで昔の自分みたいだ。こちらの出方だけがすべてだ。向こうは気分が落ちきっているから、こちらのことを考える余裕もなくなっているから仕方がない。相手は自分にとって都合の良い言葉が出てくるのを、気持ちいい態度が出てくるのを待っている、無意識に。

最近、自分で自分の機嫌を取るということにアレルギーがある人の意見をよく見かけるようになったけど、自分で自分の機嫌を取ることができない人は、誰かに自分の機嫌を取ってもらうしかなくなる。不機嫌のままでは生きていけないからだ。
それを優しさや無償の愛と勘違いしてしまう。それはただの依存関係なのに。


そうやって自分のことをわかってくれる人はいないと心を閉ざしてしまう、けれど寂しいから、また彷徨い続けて、わかってくれそうな人が見つかると、その人を試すことに全エネルギーを集中させる。昔の私もそうだった。実はここには、お互いのエネルギーの交換ややりとりはない。搾取のみ。もしくは停滞して淀みさらに重くなっていく。
自分が落ちているからといって、相手まで落ちなければいけないわけじゃないのに、相手も落ちていてほしいと望んでいた。もし相手まで落ちてしまえば、その先にどんな悲劇が待っているのか目に見えている。

この依存のしくみを悪用する人も多い。相手を信用させることが簡単にできるからだ。お金が絡むと誘惑に負けて悪用したくなるのも仕方がないとは思う。そういう理由もあって私は無料でぼっちの電話をやってる。
でも、無料でやってるのにまだ嫌われたくないという弱さが残っている。


もちろん、ほとんどの電話ではお互いのエネルギーをやりとりできる健全な関係の元に、話ができてはいる。けれど、まだ弱い自分は依存的なものにどうしても引っ張られがちだ。
けれど、流されない自分になりたいので諦めない。流されない自分じゃなければ、本当の意味で救われる人は誰もいないし、それどころか有害でしかない。

それに、人間の存在まるごとを肯定している考えは変わらない。だから依存的な人であっても、それは今そういう性質になってしまっているだけで、その人そのものの価値とは関係がないと信じているので、ぼっちの電話を続けることができているのだと思う。