アトリエ通信(日記)

2021-01-21 21:10:00

今日からここに日記とか思いついたことを書いていくことに決めた。このサイトの文字の雰囲気とか行間の感じが好きなので、ここに書くことにした。アメブロとかnoteとかに書いた方がたくさんの人に見てもらえそうなのだけれど、何となくここに書こうと自転車を漕ぎながら思いついたのだ。ここにダラダラ書き出してみて、記事になりそうな話はこことは別にnoteにもアップしたらいいかなとか思うので、ここにはとにかく思いつくまま書くことにする。どの場所よりも素の自分で書けたらいいなと願いつつ。
最近はウーバーしつつ、その合間に家事をやり、ウーバーしてない時に創作や家でできる作業をやったりしている。感覚としては西海岸とかにいるサーファーみたいな気分だ。波のある日は波乗りに海で出て、それ以外は創作や家仕事をする。現実は海からほど遠い小さなアパートに住んでいるけれど、気分だけはそんなつもりで。
ウーバーしながらだととにかく時間がない、創作もしたいし、ぼっちの電話もしたい。創作したのなら、それを発信したい。なので、なるだけ時間のかからない発信の仕方を習慣付けたいと思うようになってきた。なので、まずここにダラダラ書き出していく日記的な文章を毎日書く、そして、制作の動画を撮影してYouTubeにアップしたり、インスタに上げたりする、あとはたまに音声か映像でしゃべるという感じでやってみようと思う。記事が書けなくてもしゃべる方が時間がかからないから。
形としてはこんな感じで考えてて、創作についてなのだけれど、もっと詩を書いてみたいと思う。
ウーバーの話だけど、釣りに似てる。釣れる場所を探して街を彷徨う。立ち回り次第、工夫次第で結果が全く変わってくる。そこがおもしろい。あと、交通量が多い時間帯は苦手だけれど、人や車の通りが少なくなった夜中に自転車をこぐのがすきだ。この前思い出したけど、小学生の頃からこれは変わってない。家にいたくないときは、夜でも自転車でひとり出かけた。中学生になると遠くの学区まで足を伸ばした。好きな人ができると、その子の通学路を通ってみたりした。高校生の時は忙しかったので登下校の自転車で癒やされていた。大学生になっても、気分がふさいでしまう時は自転車、それか原付で町をうろうろしていた。それで何となく気分がすっきりする、そのことを忘れていたのだけれど、ウーバーしていて思い出した。いくつになっても、こういうのは変わらないのかも。
今月に入ってからアメブロで創造性についての記事を書いてたんだけど、今日ぜんぶ消した。やってみたくて始めたけれど、何か違うなぁと思ってしまったのだ。何だろう、何か違う。自分のなかの言葉の表現のボキャブラリーがないからか、既存の専門用語とかを使わないと表現できなかったりするのだけれど、そのことで誤解が生まれてしまうような気がした。もちろん誤解されて当たり前とは思っている、すべてをそのまま伝えることは不可能だから。でも、その誤解を解こうとすることにエネルギーを使いたくなかった。解かなければ問題ないのだけど、自分のなかでもしっくりきてないことなので、誤解されることが怖くなってしまったのかもしれない。
もっと、これよかったーとか、これたのしかったーとか、感性が動いたり魂が震えたりしたことを表現するほうが好きなのかもしれない。
というわけで、またいろいろ挑戦してみる。いい歳してこんないろいろやってダサいのでは、とかいう声が自分の頭のなかにたまに浮かんでくる。インスタとか見てると海外のおじいちゃん、おばあちゃん世代の絵描きの人たちが楽しそうに配信してたりしてすごくかっこいい。日本ではほぼ見かけない。見かけたとしても、介護的なジャンルだったりアウトサイダー的に取り上げられていることがほとんどだ。自分もあんな風な歳の取り方をしたい。